由緒と歴史

由緒

51代平城天皇の御代、大同元年(806)、伊邪那美命を祀る。

建久5年(1194)誉田別命、天児屋根命を合祀する。

古くは松山大明神、松山大権現と称し、明治に至り松山神社と改む。

旧社格は「指定村社」

歴史

   物部(もののべ)氏がこの地に進出し、坂上田村麻呂が蝦夷地を平定し関東の地も平和な開発の時代に入って来ました。当時この地は米が実り麻の茂る肥沃な処と云う意味で「さふさ」と云われ、現在の地名「匝瑳」はその中心地と云われてきました。 


松山神社は強い生命を司る神、豊かな恵みを下さる神として広く信仰されてきました。明神様とは創祀も古く由緒正しい神社に対し、中世以降授けられた称号であり、権現号も同じ様に神号の一つであります。当社は武家の信仰も篤く源頼朝は御神領永楽30貫を寄進し社殿改築、徳川代々より御朱印地10石寄進のことなどあり、当地方の名社であります。 

松山神社(千葉県匝瑳市松山鎮座)
御朱印、御祈祷、お札・お守りの頒布等は社務所へ

〒289-2152
千葉県匝瑳(そうさ)市松山1127
☎ 0479-73-3339
※神職不在の場合がございます。先ずは電話にてお問い合わせください。